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各期だより---徳高編



周南市役所前の銅像の話
■徳高48期   山田友紀

 先日、友人から「周南市役所前にある銅像のモデルは誰?」という質問があった。「あの銅像のモデルは初代徳山村長の野村恒造だよ。」と答えたら、「一体何をした人なのか?」と聞かれた。何人かの知人にも聞いてみたが、野村恒造について知っている人は誰もいなかった。野村恒造は徳山の発展に多大な功績を残した人だが、没後九十年近く過ぎるとそうした事実はすっかり忘れ去られているらしい。歴史を学ぶ者にとって少し寂しい事である。
 野村恒造は幕末に徳山に生まれ、明治時代に徳山村長、徳山町長、衆議院議員を歴任するなど政治家として活躍した。徳山町長在任中に衰退する徳山の町を救うため、海軍煉炭所を誘致したり、岩国地区住民と連携して岩徳線の新設を国に働きかけたりするなど徳山の発展に多大な貢献をした(『周南地方歴史物語』瀬戸内物産)。
 野村恒造は大正中期に亡くなったが、昭和に入るとその遺徳を偲ぶ人達から野村恒造の銅像を作る計画が持ち上がった。原田忠男「野村恒造翁銅像建設閑話」(『郷土随筆』第十一集所収、随筆同好会)によると、当初は費用が少ないため、首の部分だけ作り、胴体の部分は既存の銅像から取ってきて首と胴をくっつけるという計画だったらしい。記念の銅像を作るにしては失礼極まりない話だが、さすがに銅像を作る彫刻家が強く抗議したため、結局全身像を作ることになり、フロックコートを着た野村恒造の銅像が毛利公園(現在の徳山動物園の門前)に設置された。
 惜しい事にこの銅像は戦時中、弾丸の材料に提供するため壊されてしまった。今の市役所前にある銅像は一九五九年に徳山市長・黒神直久(徳中二十六期)が以前、銅像を作った同じ彫刻家に依頼して造ったものである。
 野村恒造は周南市と名を変えた現在の徳山をどう見ているのだろうか?明治人らしく「不況で苦しい?維新の先輩の苦労を思えばたいした事などない。徳山発展のためにがんばれ!!」と後輩を叱咤するのではないかと勝手な想像をしている今日この頃である。



関西岐山会総会時の山本俊昭君の個展に思うこと
徳高12期 岩崎好規
 平成十八年度岐山会関西支部総会において同期山本俊昭君の絵画展を開催した。最近の関西支部総会の有り様と動向と、山本君の個展についてお伝えしたい。

平成十八年度関西岐山会総会
 平成十八年度関西岐山会総会は、六月二十五日大阪駅のホテルグランビア大阪で開催された。
 昨年の秋高校十二期会が徳山で開催されたときに、久しぶりに出てきていた山本俊昭君が油絵を描いていることを知った岩本彰三君が「山本君の絵を関西岐山会」に持ってきて皆に見てもらうのはどうかと提案した。
 これには皆賛成して、岐山会関西支部の役員の方々にも賛同を得ることができた。ホテルの宴会係さんに依頼して仕切り用のパーティションを出してもらうことができ、当日の朝、有志で山本君を手伝って五点の展示は十時には終了した。
 当日定刻十一時の二時間前の九時には、さすが、責任感の強い幹事長の長浜一二氏は体調の悪さにも拘らず受付机の前で皆の出席を待っていた。
 定刻十一時をやや遅れて始まった総会は、河村久美子幹事(高十六期)の司会で坪田久志会長(高五期)、小川亮岐山会会長(中四十一期)、棟久郁夫校長、重国晋佐彦岐山会事務局長などの来賓挨拶や紹介があったあと、来賓の方々は控え室に行って頂くようお願いして総会が開始された。なぜ、来賓の方々の臨席を避けるかについて坪田久志会長は、「総会に出席していただいていると、聞かれて具合の悪い話もあるので・・・」と理由付けをしていた。
 会計報告は、光延泰壽(高十期)会計担当から行われ、収入一、一五九、五〇〇円、支出一、二三五、六〇一円、次期繰り越し金二〇〇、七四一円という報告がなされた。会議費という収入項目での四四、〇〇〇円は幹事会での幹事からの食事代の残金の寄付金であるという。予算決算ともに形は、一応健全に見られるが、中身は大赤字で会長はじめ自腹を切っての関西岐山会であるということである。さらに、現在の岐山会のあり方について、坪田久志会長から、財政は危機的状態にあり、どのような方向に進んでいったらよいか、の意見を聞きたいが、本総会での「発言や意見交換ではなく、意見があれば後ほど会長職まで送ってほしい」という発言があったが総会は拍手のうちに閉会した。その後、控えの間から来賓も再び参加されて講演となった。
 「自然環境の予測と現状」という演題で原田朗(高五期|京大理卒:元札幌管区気象台長|元気象研究所長|元防衛大学教授)氏から陰陽道の阿部晴明も気象学に通じた専門家であったという切り出しで聴く人を惹きつけ、九十年代までは温暖化が人為的かどうかについて疑問もあったが、いまではすでに疑うべき余地はないという立ったままの約三十分の講演があった。
 なお、徳高十二期の出席者は十一名で、出席者約六十名のうち十九%すなわちほぼ二割を占めているが、これは歴代同期幹事役の高藤義弘および松村勝昭両君の貢献が多い。関西在住の十二期生は、在住の四分の一が出席して、関西岐山会の最大の支援グループである。

山本俊昭君個展に思うこと
 山本俊昭君は、大島の出身で、毎日通船で通学していたそうだか、徳山市立鼓南中学校時代から絵画が好きだったという。徳山高校時代特に絵画部に在籍することもなかったが、卒業後、市役所に勤務しながら、徳山市文化教室に参加して絵画制作に励んだ。鼓南中学校の恩師に薦められて、絵画団体の旺玄会(*)に応募出展したところ、新人賞などを受賞して、山本君は開華したのである。爾来、旺玄会の会友、会員、さらに平成十二年には委員(審査員)に推挙され、平成十四年に徳山市役所を退職。現在、旺玄会山口支部長、周南絵画連盟事務局長、また、周陽公民館で油絵講座を開くなど地域画壇界を支えている。
 山本俊昭君は長身の百八十一センチで四十九キログラムという。聞けば今から二十年前に食道がんとなって手術を受けたという。そのころはアルコール中毒にはまっていたそうだが、今は飲めないといって断酒中で、タバコを吸うのは止められない。
 彼が展示してくれた絵画は、静物画の”花シリーズ“を中心として、ふるさとの漁港などの五点であった。花シリーズは、小さな花の集合で”群れ花“とでも呼べるものであろう。小さな花々が寄り添いながら、一つ一つの生き方とともに皆で一緒に与えられた生を楽しんでいるという感じがよくでている。
 本シリーズの”白い花“は、周南市文化振興財団の絵画貸出し事業の無料提供作品のひとつにも(油絵 白い花45×63cm)となっている。
 現在、強いものが勝つのが当たり前の世情になってしまったが、彼の”花シリーズ“をみていると弱肉強食の世界とは別の世界もあるという思いを深くするのである。
 棟久郁夫校長が、国公立や私立の大学に何人入学できたか、という学業成果戦績報告をされていた。
 山本君の生き方を見ていて、もし、我々の在学中に、適性適職審査というようなものがあったとしたら、彼は美術系ということでその道に進み中央画壇で活躍していたのではないか?という思いが頭を掠めたのである。
 こういう適性適職審査というのは、専門的に実施している機関にも協力してもらいつつ、進学担当教諭と別に、生徒適性審査担当教諭を新設するとよい。だれもが大学に行く時代、あなたは何をすればよいのか?何に向いているのか
?の指導がされて、卒業後、岐山会同窓会で高等学校における進路適性審査による評定で審査のフィードバックがされてもよいように思った。

(*)旺玄会(おうげんかい)
 旺玄会は創立以来、牧野虎雄の精神を継承し、具象絵画の探究と、作家の個性尊重および質的充実を重視つつ、新人の育成に努め、絵画を公募し、絵画展を開催する美術団体。牧野虎雄(黒田清輝・藤島武二に師事、東京美大卒、明治二十三年生?昭和二十一年没)が帝展で活躍していた若手作家とともに結成した塊樹社(大正十三年結成)の解散(昭和七年)の翌年、牧野を主宰者として、その門下生および塊樹社の新人らによって旺玄社(昭和八年)が創設され、東京府美術館で第一回展を開催。昭和十九年戦時下で解散させられたが、牧野の没後、昭和二十二年旺玄社同人が集まり、旺玄会と改称し、活動を再開した。
 現在、旺玄会展を東京で、大阪、名古屋、秋田等において巡回展を開催している。

山本俊昭君(高12期) プロフィール
昭和16年(1941)山口県徳山市大島に生まれる
昭和35年(1960)山口県立徳山高等学校卒業(徳高第12期生)
昭和35年(1960)徳山市役所に奉職
昭和46年(1971)徳山市民文化教室に参加し、油絵の製作に励む
昭和51年(1976)絵画公募団体の旺玄会に出展 リキテックス賞
        を受ける
        関西旺玄会に出展 新人賞に輝く
昭和52年(1977)旺玄会に出展 奨励賞を受賞
        関西旺玄海に出展 努力賞を受賞
        以後、旺玄会を中心として出品し、
        各種賞を受ける
昭和53年(1978)旺玄会会友に推挙される
昭和57年(1982)旺玄会会員に推挙される
平成12年(2000)旺玄会委員(審査員)に推挙される
平成14年(2002)徳山市役所を退職
現在、旺玄会山口支部長、周南絵画連盟事務局長



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