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各期だより---徳高編


楽しかった角島、西長門方面への旅
■徳高14期   池田信子

 平成十六年八月十四日(土)二年に一度開催される同窓会の日です。今回は、記念すべきみんな還暦を迎えての同窓会です。以前より同窓会に併せて、バスツアーの計画を……。と言う希望があり今回は還暦記念もあり、バスツアーをしてみようと言う事になりました。
 夏真只中、朝からギラギラの太陽のもと、ホテルサンルート徳山を九時三十分、防長観光バスに乗り込み、いざ出発!!参加者は、男性十五名女性二十名。乗り込むと同時に、飲み物と一人ずつ袋詰めされたおつまみを配給され、もう小学生気分ワイワイ!ガヤガヤ!また、ガイドさんのすばらしいこと、田代さんと言われるそのガイドさん博学と言おうか、はたまた吉本喜劇より派遣されたと言おうかバスの中は大笑い。流石の十四期男性諸君もたじたじ……。お腹の皮もよじれ顔もぐちゃぐちゃ。バスの中の様子は、皆さんのご想像におまかせします。西長門リゾートホテルで、にぎやかでそして豪華な昼食。心も身体も満腹感を味わいました。すばらしい紺碧の海、流線型の橋が、ジェットコースターに乗っているような気分でした。いざ角島へ到着、汗だくだくになり灯台めざして一目散。若いつもりでも寄る年波みんな、ふうふうはあはあ。しおかぜの里で海産物など大買物をして出発。次に”竜宮の潮吹“に寄りましたが、ここは冬ならではの観光地。夏はあのダイナミックな潮吹きはみられませんでした。さぞかし冬には雄大な潮を吹くだろうなと思いながら、その地を後にしました。次のコースは、北長門の棚田を車窓より見学だったのですが、ずい分と時間が押して来ており、夕方からの同窓会が気になりだし棚田コースは、カットとなりました。車窓からの美しい景色、同級生ならではの和気あいあいの雰囲気、ガイドさんの楽しいおしゃべりで、暑い暑い真夏の一日も「良かったネ、また今度もバスツアー計画してよ」との感想で幕をとじました。
 楽しい雰囲気のままで突入した同窓会も、またまた盛り上がり楽しい会となりました。


生涯現役をめざして
■徳高16期  長谷川和美

 直腸癌で手術し人生観が、一八〇度変わった。二十五年間学習塾一筋に小・中学生を教えることを天職としてきた自分にさよならを言えた。自ら癌患者であることを隠さず、癌と上手に向き合っていこう。そして同じ病気で悩んでいる人と互いに支え合って生きることができたら。高齢者問題に本気で取り組むことを決意したのは五十二歳のときである。我が故郷周南の地に、毎日型配食サービスを根付かせよう。全国でも例の少ない一日・二食・週十四食体制。和田や鹿野、八代や大津島でも、おかゆ・きざみ食・ミキサー食が届くサービス。直腸癌の主な原因は食事の不摂生だった。死ぬまで元気な人づくりが自分の生涯のテーマになった。まさに食こそ命である。テーマ実現のため、市議選、県議選も迷いは無かった。今、意を同じくする仲間と『高齢社会をよくする女性の会徳山』の会長として今年で活動は十九年目に入った。血縁の無い家族づくりを旗印に小さなボランティア活動は楽しい。昨年PET検査で癌のリンパ節転移を告げられ、市議会活動ができるか心配したが、検査結果が納得できないとする主治医の意見に従い、一ヵ月後再検査。転移の影は消滅していた。も少し生きられそうだ。生涯現役を自分の生き様で示していきたい、そう胸を張っていえる歳になった。座右の銘は、『この道より我を生かす道なしこの道を行く。』である。みなさん楽しく手を取り合って生涯現役を共に貫いていこうではありませんか。



もうすぐ国民文化祭
■徳高17期   黒田幸子

 「国民文化祭やまぐち」まであと二ヶ月半となりましたが、我が母校徳山高校が「子供夢プロジェクトに採択されたと聞き大変喜んでいます。県内の休校廃校校舎を昔のように人でいっぱいにする事業「廃校に花を咲かせましょう」プロジェクトで二つもの事業に取り組んでいて素晴らしいと思います。大潮小、小畑小、向道中を美術館にして、全国で活躍しているアーティストの作品を展示する事業と、全国から募集した百十数通のラブレターを元に「らぶふみ」という映画を製作し向道中で上映するもので、二井知事も出演されているとの事です。
 この「子供夢プロジェクト」とは子供達が提案した文化芸術活動の夢やアイディアを国文祭やまぐちで実現するもので、国文祭としては初めての画期的事業です。徳山高校の生徒百人以上が協力して取り組んでいるとの事。我が子よりも、うんと若い後輩達の活動が頼もしく、今からとても楽しみです。勿論、私も観に行くつもりです。
 さて、私たちが住んでいる下松でも十一月十一日(土)にスターピアくだまつで「国文祭、童謡フェスタinくだまつ」が開催されます。私も国文祭童謡フェスティバル推進委員として舞台の演出等に携わっています。北は岩手県から南は長崎県までの県外十五団体、県内十団体が童謡にそれぞれの思いを込めて出演されますし、ゲストにはビッグママこと、あの中島啓江さんをお迎えしています。きっと温かくて楽しくて、元気の出る舞台になると思います。ご来場の出演者や観客の皆様が、来て良かった!楽しかった!と思って戴けるよう、?心のこもったおもてなしを!?を合言葉に会場内は勿論、周辺部においても色々なアイディアを結集して、私たちスタッフもワクワクしながら準備を進めています。皆様是非ご来場下さいネ。入場は無料です(入場整理券が必要です)


お礼
■徳高24期   田中泰史

 昨年は皆様のご協力により何とか当番幹事期の責務をこなせましたこと心よりお礼申し上げます。
当番幹事の連絡会を催す前四月くらいから「とにかく赤字にならないように」を合言葉にアトラクションを考えたり、食事やお酒を考えたりと何度か集まりを持ちました。さて五月を迎え連絡会を開きましたが、山県さんを始め八期の皆さんはほとんどの部分を我々に任せて下さいましたし、三十一期は三宅さん赤星さんを始め皆さん非常に協力的でしたし、四十三期の皆さんもよくやってくれましたので我々二十四期は楽に当番幹事が出来たと喜んでおります。
本番も多少の手違いはあったものの、何とか許せる範囲内のミスであったと思います。赤字も出ませんでした。ただ、今回の当番を引き受けてから少し気になることがありますので、この場をお借りし問題提起してみたく思います。
ひとつは学校で開かれる幹事会の出席率が悪すぎるということです。出てもそこで議論が交わされるわけでもなく、報告事項をただ聞くだけのようになっています。以前は意見交換も行われていたように思います。これで本当にいいのでしょうか。非協力的な期も増殖しているように思えます。
もうひとつは岐山会報の件です。本来どういう趣旨で作られてきたのか今となってはよく覚えていないのですが、やはり単独事業として赤字は出さないようにするのが筋ではないでしょうか。当初は広告収入で会報発行費を賄う事になっていたように記憶しています。岐山会報はここ何年か僅かながら赤字で、総会費から補填をしてもらっているようです。これでは当番幹事が頑張っても結果的に赤字になったという事が出て来るやも知れません。
どちらも昨年の会報(第十九号)で「岐山会三十期代の意見交換会」に取り上げられています。せっかく三十期代の皆さんが提言してくれているのですから、我々も一度原点に返って岐山会や岐山会報のことについて考えてみませんか。このままズルズルと続いていけば同窓会そのものが機能しなくなるような気がしています。
 我々二十四期が解答を持っているわけではありません。皆さんと共に考えていけたらと思っています。
二十四期常任幹事  廣繁芳彦
    常任幹事  有吉清子
  同窓会事務局  田中泰史


カワウソの夜
■徳高25期   原田洋子

 時間とは奇妙なもので、時々思いがけない悪戯をする。たとえば、見渡す限り灰色の建物の連続、山のすがたも遠く退いた都会に埋もれて、故郷に暮らした日々など前世の、そのまた前世のように思っていると、街角でいきなりかつての自分に出くわすことがあるのもそのひとつである。

 晩春の生暖かい夜、花のお江戸は湯島天神のお膝元のとある料理屋の二階に、かつて同時期に同じ高校の門をくぐった同級生たちがあいまみえた。長い歳月の隔たりがあるにもかかわらず、昨日試験のことを話したその続きを話すように話しているという不思議。あたかも時間のリボンの端がクルリと翻って反対の端につながったように。いったいこれはどうした魔法だろう。

 みんなに連絡を取ってお店も手配してくれたM氏持参の山口のお酒「獺祭」がビールの後回ってきた時、成る程この時間、空間の一種特別な感じは「祭り」だと思い当たった。日常からふと落ち込んだ異次元。仕事や家庭、健康、将来などの憂いからすっぱり切り離されたハレの世界。終ればまた連続する日常に何事も無かったように戻ることができる。

 「獺祭」とはカワウソが捕えた魚を食べる前にならべて置くことを祭りにたとえたものだが、広辞苑で見ると文を書いたりする時に何冊も本を散らかしていることも言うらしい。余談ながらこれは自分の仕事場にそのままあてはまる。毎日別の意味でお祭り騒ぎというわけだ。

 とまれ今宵の宴は夜が更けるに連れて山口弁の飛び交う騒ぎとなり、粋な板前さんたちもさぞあきれたことだろう。やがて宴も果てると、その座敷に青く光る魚を遺したまま、カワウソたちは三々五々地下鉄の入り口に吸い込まれていったのである。



岐山会報に寄せて
■徳高26期   津田 諭

 昭和四十九年に卒業した津田諭です。関西に出て三十年余り、徳山とは縁がなくなりましたが、いつも私のベースには徳山高校で受けた教育があると感じてきました。私は大阪府下に在住しておりますが、子供によい教育を受けさせるには公立学校では駄目だ、私立校に行かせなければという風潮の中で、自分が受けた徳山高校での質の高い教育を振り返って、今の子供たちは可哀想な気がします。よい友達に恵まれ、のびのびと勉強にクラブ活動に打ち込めた高校時代を、今は誇らしく思います。娘は結局、いわゆるお受験をして中高一貫校に進みました。
 仕事は社会福祉、それも視覚障害者の職業訓練というマイナーな分野に携わって二十年になります。今、社会福祉は、新しい法律が施行され、どの法人も生き残りをかけてもがいている大変な時期を迎えています。そんな中で、一年から二年という短い間に、利用者と接しながら、各自の職業人生をどのように切り拓くか、共に努力していく仕事にはやりがいを感じています。障害者、それも視覚に障害をもつ人たちが、社会の中で働くというのは今も大変なことですが、少しずつ受け入れてくれる事業所が増えて、チャンスに恵まれた人たちが巣立っていくのを見送る時は達成感を感じます。私も五十歳を超えてだんだん無理がきかなくなってきましたが、おかげさまで仕事が老ける余裕を与えてくれません。これからもやれる間は精一杯頑張っていきたいと思っています。

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